【まとめ】歴代の三遊亭円楽、プロフィール・若い頃など初代から6代目まで。

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みなさん、こんにちは。

落語家として名高い三遊亭円楽。

テレビ番組『笑点』での出演や、司会役を務めるなど、歴代の三遊亭円楽は落語会では知らぬものなしと言われるほど名を知られている方ですが、

三遊亭円楽は実は6代目まで続いていることをご存知でしたでしょうか。

今回は、歴代の “三遊亭円楽” について、まとめていきたいと思います。

 

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歴代の三遊亭圓楽

6代目 三遊亭圓楽

6代目三遊亭円楽

本名:会 泰通(あい やすみち)

  • 出身:東京都
  • 生年月日:1950年2月8日
  • 没年月日:2022年9月30日
  • 年齢:満72歳没

青山学院大学在学中、師匠・五代目三遊亭圓楽の目に留まり、落語の世界に誘われ、前座修行をしながら同大学を卒業。

入門時から将来を嘱望され、昭和52年(1977年)には、弱冠27歳にして笑点の大喜利レギュラーメンバーに抜擢されました。

40年以上のキャリアを持つゲートボールでは、一門若手とチームを結成し、日本全国で円楽ゲートボール大会を開催し、好評を博しているとか。

江戸落語と上方落語の距離を縮め、また協会や一門という派閥を超えた落語家の交流を目指し、平成19年(2007年)から、福岡市にて「博多天神落語まつり」のプロデュースを手がけていたそうです。

若い頃の6代目三遊亭圓楽氏の写真がこちら↓。

1985年のテレビCMで出演されている三遊亭圓楽氏です。

6代目三遊亭円楽2

 

5代目 三遊亭圓楽

5代目三遊亭円楽

  • 本名:吉河寛海(ひろうみ)
  • 出身:東京都
  • 生年月日:1932年12月29日
  • 没年月日:2009年10月29日
  • 年齢:満76歳没

国民的長寿演芸番組『笑点』の4代目司会者として愛された落語家。

歴代『笑点』司会者のなかで最も長い23年もの間、司会を務められたそう。円楽一門会の元総帥で、元最高顧問を務めた。

177センチの長身と端正な顔立ちから若い頃は「星の王子様」の愛称で親しまれた。

1960年代の演芸ブームの際に脚光を浴び、7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝と共に「四天王」と呼ばれた。

2005年に『笑点』司会者を降板して以降は後進の育成にあたっていたが、2009年、再発した肺がんにより他界した。

ちなみに先祖は吉川経家とその三男・吉川家好だそうです。

こちら↓は若い頃の5代目三遊亭圓楽氏。シャープな面持ちでキリッと男らしい顔つきをされていますね。

5代目三遊亭円楽2

 

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4代目 三遊亭圓楽

  • 本名:柴田一
  • 生年月日:1902年4月20日 
  • 没年月日:1955年12月28日
  • 年齢:満53歳没

二代目月の家圓鏡に入門し、月の家月松を名乗る。1924年5月に師匠の前名のひとつである三遊亭三を三代目として襲名し、真打昇進。

1942年頃に元兄弟子の五代目蝶花楼馬楽の前名、四代目三遊亭圓楽を襲名。1947年2月に三代目柳亭市馬を襲名したそうです。

三遊亭圓楽4代目の写真や画像は見つかりませんでした。

 

3代目 三遊亭圓楽

3代目三遊亭円楽

  • 本名:林家 彦六(はやしや ひころく)
  • 出身:都京都
  • 生年月日:1895年5月16日
  • 没年月日: 1982年1月29日
  • 年齢:満86歳没は

生前は落語協会所属。前名の林家正蔵としては八代目にあたり俗に「彦六の正蔵」、噺家からは居住地の「稲荷町(の師匠)」また性格から「トンガリの正蔵」と呼ばれたそうです。

『笑点』大喜利メンバーである林家木久扇、三遊亭好楽の師匠としても名前が知られている方です。

三代目三遊亭圓楽を襲名し、のちに林家彦六となります。

 

2代目 三遊亭圓楽

2代目三遊亭円楽

  • 本名:倉片 省吾
  • 出身:武蔵国所沢
  • 生年月日:1846年?月?日
  • 没年月日: 1930年11月17日

武州所沢名主倉片助右衛門の三男に生まれる。八王子に住む倉片家の親戚の娘が、巡業に来た後の五代目林家正蔵に惚れ、追いかけて所沢まで来たのを見て、「噺家は女にモテる」と思い、その道に進むことを決意したそう。

慶応の初期に三遊亭圓朝に入門し、勢朝と名乗る。明治初年ころに三代目橘家圓蔵に改名し二ツ目昇進。勢朝の名は後に実弟圓鶴が圓朝の下に入門時に名乗った。

1874年から1875年ころに初代三遊亭小圓朝に改名して真打昇進。なお、小圓朝改名については圓蔵時代に刺青を入れたのを師匠圓朝に見つかって圓蔵の名を取り上げられたためとも、旅回りの時に小圓朝を勝手に名乗ったためともいわれている。

1883年に二代目三遊亭圓楽を襲名して長らく圓楽の名でいたが、1919年4月に橘家二三蔵に圓楽の名を譲り、「三遊一朝」に改名。「一朝」は古い名跡でこの一朝は三代目ともいわれる。「一朝老」「一朝爺さん」とも、明治40年代から浅草栄久町に住んでいたことから「栄久町のお爺さん」とも呼ばれた。

 

初代 三遊亭圓楽

  • 本名:嶋岡(または野本)新兵衛
  • 出身:不明
  • 生年月日:1939年?月?日
  • 没年月日: 1988年8月16日
  • 年齢:満43歳没

後に、3代目 三遊亭 圓生となる初代の三遊亭圓楽。

当初歌舞伎役者で、本名兵衛にちなんで「のしん」と名乗ったので、後に「のしん」の圓生と渾名(あだな)されたとされていたが、誰の役者の弟子だったのか、旧幕府時代に既に野本という名字のある身分だったのかなどについて何も傍証となるものがなく、さらに本名を嶋岡と載せている文献もあるので、その由緒については疑問がある。一方で天狗連の真打格で、○○連の真打を略して「のしん」が渾名されたという説もある。

安政の末に役者から転じて、江戸噺家4代目桂文治門下で万治(萬治)となったとされるが、確証はない。明治維新前後に三遊亭圓朝門下に移り、初代にあたる三遊亭圓楽を名乗る。

 

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