みなさん、こんにちは。
2022年12月、俳優の吉田喜重さんが逝去されたという悲しいニュースが報道されました。
吉田喜重さんは、奥さんか女優の岡田茉莉子さんであることで有名ですね。
そして、そのお二人の間にはお子さんはいらっしゃらないようです。
今回は、お二人が子供を作らなかった理由について纏めていきたいと思います。
吉田喜重さん逝去
「秋津温泉」「エロス+虐殺」などの映画監督、吉田喜重さんが8日、肺炎のため死去したと報道されました。
享年、89歳。
映画監督・吉田喜重の経歴
福井市出身の吉田喜重さん。
大学は東京大を卒業。
大学を卒業後の1955年、松竹入社。
大船撮影所で小津安二郎、木下恵介監督らの助監督をつとめ、60年「ろくでなし」で監督デビュー。
社会の矛盾をドライに描いた作風で、同じ松竹の大島渚、篠田正浩両監督らとともに「松竹ヌーベルバーグ」と称された。
その後、松竹の方針転換で助監督に降格されたが、62年にスターだった岡田茉莉子さんに指名され「秋津温泉」で監督に復帰することになります。
64年に岡田真理子さんと結婚。
64年「日本脱出」の編集を巡って会社と対立し退社するも、66年に独立プロ「現代映画社」を設立。
独立プロで多くの作品を排出します。代表作がこちら⇓⇓
- 「女のみづうみ」(66年)
- 「情炎」(67年)
- 「樹氷のよろめき」(68年)
- 「エロス+虐殺」
- 「煉獄(れんごく)エロイカ」(70年)
「戒厳令」(73年)以降映画製作から遠ざかり、テレビドキュメンタリーを手がけ、テレビ東京の美術番組「美の美」シリーズなどを制作することになります。
そして、認知症老人の問題と家族を描いた「人間の約束」(86年)で映画に復帰。
同作と88年「嵐が丘」、2002年「鏡の女たち」と続けてカンヌ国際映画祭に出品。
仏のオペラ・ド・リヨンの依頼で「蝶々夫人」を演出するなど、海外での活躍も目立った吉田喜重監督。
20年には、ナチス・ドイツの副総統ルドルフ・ヘスの手記の形式の小説「贖罪(しょくざい) ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争」を刊行。
最後には
映画に思い残すことはない
と語っていたといいます。
他の著書に「小津安二郎の反映画」も出版されているなど、晩年は執筆家としても活動されていました。
妻・俳優の岡田茉莉子
吉田喜重さんの奥さんは往年のスター俳優・岡田茉莉子さん。
お二人の出会いは当然、映画。
上記の通り、当時助監督だった吉田喜重さんをスターだった岡田茉莉子さんが引き抜く形で監督に就任させました。
その作品は、1962年に映画出演100本記念として岡田茉莉子さん自身がプロデュースした主演映画「秋津温泉」。
岡田茉莉子さんが吉田喜重さんに直接、監督を以来したそうです。
そこから、お二人の関係が続いていたようですね。
岡田茉莉子さんが子供を拒否?!
吉田喜重さんと岡田茉莉子さんの間にはご子息がいらっしゃいません。
その理由は岡田茉莉子さんにあるようです。
岡田茉莉子さんは、子供を敢えて作らないという選択をしていました。
その理由として、このように仰られています。⇓⇓
子供を作ったら若さを保つため整形しなければならないから
なんというプロ精神でしょう。
人生において、母になる事よりも生涯女優でいる事を選んだということです。
映画に100本以上も出演するほどのスーパースターであったのには、岡田茉莉子さんの生涯や人生をかけて女優であり続ける強い執念があったからこそ、と思わせてくれるようです。
まとめ
60年以上を共に歩んできた岡田茉莉子さんは、吉田喜重さんの死去について
本当に彼は才能のある人で、素晴らしい監督でした
と言葉を贈っておられます。
この言葉から結婚後も夫である吉田喜重さんの事を尊敬し大切にされていた事が分かりますよね。
吉田喜重さんのご冥福を心よりお祈りします。
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