みなさん、こんにちは。
本日はデザイナーの柳川荒士さんについて。
彼の経歴を纏めます。
過去、ボクサーだった柳川荒士さんがデザイナーに転身したその理由とは。
柳川荒士|プロフィール
まずは、柳川荒士さんの簡単なプロフィールから。
プロフィール
- 名前:柳川荒士(やながわ あらし)
- 生年月日:1975年3月17日
- 年齢:48歳(2023年5月時点)
- 出身地:広島県広島市
- 中学:広島市立己斐上中学校
- 高校:崇徳高校
- 大学:中央大学(中退)
経歴
続いて、本題である柳川荒士さんの経歴を纏めます。
父の影響でボクサーへ
柳川荒士さんの父親はアマチュアボクシングの世界にて指導者として活躍していた人物だったそうです。
その影響で幼いうちから同伴でボクシングの試合会場などに足を運んでいた柳川荒士さん。
そんな環境の中で自身も小学校の頃からボクシングの練習をスタート。
県内の高校に通っていた時期には、高校3年生の頃にインターハイで優勝するほどの選手だったんだとか。
プロボクサーへ
高校を卒業後に状況。
ボクシング部の強豪校である中央大学に入ってからも、アトランタ五輪出場(1996年)を目指して引き続きアマチュアボクサーとして活動を続けます。
アトランタ五輪候補選手として国内外で活躍し、オリンピックの予選であと一歩のところまでいったが、惜しくもアジア最終予選で敗れて出場権は獲得できず。
しかし、1997年にプロデビューが実現し、1990年代後半に国内でプロボクサーとして活躍をしました。
デザイナーに転身
後に世界チャンピオンとなる川嶋勝重との試合を最後に、プロボクサーを引退した柳川荒士さん。
引退当時は若干25歳。
引退後、第2の人生を模索する中、姉の影響で昔から好きだったファッションの道を歩むこととなります。
きっかけはロンドン
中学来の頃からセレクトショップに通っていたような過去をもつ彼は、ロンドンに渡って現地で革ジャンが高額で取引されている事を知ります。
現地で買い付けて日本に戻り、友人が働く店からスペースをもらい、革ジャンを輸入販売するビジネスをスタートさせました。
ジョンローレンスサリバンの起源
そんな中で今度は自分でデザインした商品を売ってみたいと思うようになった柳川荒士さん。
専門学校などには通わずに独学でデザインの知識を見つけていき、ビジネスとしてその知識を役立てます。
おれは、ジョンローレンスサリバンの起源となるのです。
東京コレクションで活躍
独学ながらもその才能を存分に発揮し、短期間の間に技術を伸ばしビジネス規模を拡大。
2000年代後半には東京コレクションにデビューしまることとなります。
東京コレクションにおいてもデビュー当初から活躍し、瞬く間に同コレクションの中心的なデザイナーの1人にまで成長。
2010年代に入るとレディースにも進出し、ビジネス規模を更に拡大させてきます。
2011年にパリコレデビュー
東京でトップに登りつめた柳川氏は2011年1月の2011-12秋冬シースンからパリコレクションのメンズ部門に参加。
現地でランウェイショーを開催するようになるのでした。
2017年にロンドンコレクションデビュー
2017年に入ると自身のビジネスの起源となったイギリスのロンドンで開催されるロンドンコレクションでデビューを果たします。
古田泰子のTOGA(レディース部門参加)と共とに、数少ないロンドンコレクション系日本人デザイナーとして活躍していく柳川荒士さん。
コロナ禍の2021年春には、宮下貴裕と組んで11年ぶりとなる東京でのショーを開催するのでした。
まだまだ、これからも長く活躍していくであろう柳川荒士さん。
これからの活躍にも目が離せませんね。
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