月岡裕二の経歴|日本航空高校を春校バレーに連続20年導いていた!

月岡裕二スポーツ
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みなさん、こんにちは。

市立船橋高校のバレーボール顧問である月岡裕二氏が暴力をふるい解任されたとの報道がありました。

今回はその月岡裕二氏について。

彼の経歴や顧問としての実績を纏めていきたいと思います。

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日本航空高校男子バレー部顧問、月岡裕二氏解任

月岡裕二

当初は厳重注意処分とされていましたが、急遽(きゅうきょ)解任に変更となったとのこと。

こちらが体罰の現場が収められている動画⇓⇓

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月岡裕二監督の経歴

月岡裕二

月岡裕二氏は、過去にどのような経歴を持っている人物なのでしょうか。

現役プレイヤー時代

月岡氏は大学を卒業した後、サントリーに入社。

サントリーサンバーズというバレーボールチームに所属していた月岡氏。

1991/92年シーズンからプライヤーとして所属します。

1995/96年シーズンから同チームでプライヤー兼アナリストとしても活躍。その翌年に同チームを退団。

日本航空高校の監督に就任

30歳までサントリーサンバーズでプレーした月岡氏は翌年に日本航空高校男子バレー部監督に就任します。

そして、就任から5年後の2003年に、同校男子バレーボール部は春高バレーボール大会に初出場を果たします。

そして、そこから2022年の第74回大会まで、20年間にも渡り連続出場をしています。

そして、20年目の出場で春高バレーボール大会初優勝を飾ります。

その時の様子がこちら⇓⇓

月岡裕二

月岡裕二

月岡裕二の指導方針

月岡裕二監督は、

バレーボールを一(いち)にする

という言葉をモットーとし、バレーボールだけではなく人間形成にも力を入れてたそうです。

「バレーボールを一にする」とは、

バレーボールをすべてに対して優先するということではなく、バレーボールを一番に考えられるように、日々の生活を送らなければいけない

ということ。

月岡氏は、とあるウェブページのインタビューで次のようなことを述べています。

これは、“バレーボールを第一優先にする”ではなく、“日常生活の一つとしてバレーボールを捉える”という意味なんです。

ここに集まっているのは、日本航空でバレーボールがしたいという思いの選手ばかり。

でも、日頃の学校生活をおろそかにすれば、バレーボールの練習どころではなくなる。

そうならないためにも、バレーボールを通じて、人間形成を行い、一歩ずつ大人になっていかなければいけない。

それができれば、一人の人間として成長すると同時に、バレーボールの奥深さもわかってくると思う。

体罰は決して容認されることではありませんが、月岡氏が日本航空高校を強豪校にした実績は間違いないもの。

スポーツを通して、人間形成にも注力していた月岡氏の指導方針には賛同の声もあったようです。

それ故に、今後の月岡氏の進退にも注目が集まりそうです。

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